マルチン・モッサー・スマイザー
明治8年(1975年)~昭和30年(1955年)
米国出身
案内板設置場所
横手市城南町7-1
鶴岡章氏宅「旧日新館」前庭
人物・業績
マルチン・スマイザーはアメリカ生まれ、大正3年(1914年)横手中学(現横手高校)の英語教師として来日、昭和30年(1955年)生涯を閉じるまで日新館で暮らした。(享年八十歳)英語教師は昭和8年で辞職、その後横手を中心にキリスト教の伝道に専念した。
太平洋戦争終結後の昭和20年(1945年)横手にも約百名の駐留軍がやってきて冬を越した。スマイザーはこの駐留軍と町民の融和に尽力をされた。
日新館の補修、修理の際、屋根裏から半生の遺品が数多く発見された。その中には当時の横手の風俗、習慣を知るうえで貴重な資料が数多くある。教育と伝道にすべてをささげた生涯であった。
日新館について
旧制横手中学の、米国人英語教師だったチャール・C・チャンプリンは、当初寝泊りしていたのは、大町にあった小阪旅館。日本家屋になじめないチャンプリンを気の毒に思った主人の小坂亀松が、彼のために建て、同校の米国人教師が六代にわたって暮らした。
県内に現存する明治期唯一の木造洋風住宅としての価値が認められ、昭和59年(1984年)に県指定有形文化財(建造物)となった。
毎週水曜日に、居住部分を除いて一般公開されている。

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M・スマイザー氏の案内板
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秋田県有形文化財である旧日新館の案内板
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旧日新館の全景
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旧日新館の建物
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M・スマイザー氏の墓
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墓地全景
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iいつも長靴を履いていたという。瀬谷重治牧師によって書かれた伝記
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スマイザーさんの日記に関する新聞記事
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