石橋 湛山(いしばし たんざん)
明治17年(1884年)~昭和48年(1973年)
案内板設置場所
横手市大町8の8
出羽印刷株式会社前
人物・業績
石橋湛山は明治17年(1884年)東京に生まれ、早稲田大学卒業後「東洋経済新報社」に入社し、大正、昭和時代を通じてジャーナリストとして活躍。同社を率いる湛山は、昭和20年(1945)三月の東京大空襲により、当時横手町にもあった経済倶楽部会員の縁でほぼ本社機能を横手に移し「横手市局」を開設、自ら陣頭指揮をして、戦争の拡大に反対して「小日本主義」を唱え、戦争の早期終結を訴えるなど『東洋経済新報』を現在地の「出羽印刷」から全国に送った。
終戦直後に湛山が書いた「更正日本の門出ー前途は実に洋々たり」は横手から発信され、戦後日本の指針として今も高く評価されている。戦後は政治家として活躍し、昭和31年(1956)第55代内閣総理大臣に就任した。首相退任後は日中、日ソ友好に尽力した。

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「石橋湛山と横手」の案内板
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現出羽印刷株式会社の社屋
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横手図書館に所蔵されている著者
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